本の中のダンスシーン         2013.5.18 小林 勝

 

私と踊って 恩田 陸(おんだ りく)  新潮社

 

自分で書いたにしては珍しく、とても気に入っている短編です。(著者)

 

私と踊って [単行本]

パーティ会場でぽつんとしていた私に、不思議な感じの少女が声をかけてきた。

 「私と踊って」。

実在の舞踏家、稀代の舞踏家 ビナ・パウシュをモチーフに、舞台を見る者と見られる者の抜き差しならない関係をロマンチックに描いた表題作のほか、日本に里帰りした男の不思議な体験を描「茜さす」。ミステリからSF、ショートショート、ホラーまで、物語に愛された作家の脳内を映し出す全19編の珠玉の短編を収録。

新潮社 2012年12月21日発売

 1,575円(税込)   

私と踊って。

はあっけに取られた。一瞬、何を言われたのか分からなかったくらいだ。

後にも先にも、あんなふうにきっぱりと誰かに踊ることを申し込まれたことはなかった。そもそも、自分が踊れるなどと思ったこともなかったのだ。

馬鹿みたいに彼女の顔を見ていると、彼女は「早く、早く」と私の手を引いて駆け出した。私の手を引く彼女の手は思いがけなく力強く、揺るぎない信念のようなものが彼女の手を通して私の中に流れ込んできた。

 

こんなのおかしいわ。

何が?

彼女が不思議そうに私を見る。私はもじもじした。

だって、ダンスは男の人と女の人がするものでしょ。あたしたち二人でなんて、おかしいよ。

あら、そうかしら。女の子どうしで踊っちゃだめ? ひとりも駄目?

彼女は歌うように呟き(つぶやき)、唐突に踊り始めた。

 

どうしてあの時、私を誘ったの?

学生時代、彼女にそう聞いてみたことがある。

その頃の彼女はもう、新進気鋭のダンサーでありコリオグラファーだった。その名は欧米で話題となり、客演依頼は引きも切らず、映画へのカメオ出演も決まっていた。

 

あの時?

彼女は化粧っ気のない顔で、不思議な色の目で振り向いた。

ほら、一度だけ一緒に踊ったことがあったでしょ ― 冬だったわ。がらんとした廊下だった。

あの建物、何だったのかしら? あなたが「壁の花」だったあたしを連れ出してくれたのよ。初対面だったのに、まっすぐにあたしのところに来てくれた。

ああ、と彼女は煙草(たばこ)を潰しながら(つぶしながら)言った。終生(しゅうせい)、彼女はスモーカーだった。

あれって、夢じゃなかったのね。

 

え? 私は思わず聞き返した。

子供の頃から何度も夢を見たわ。踊ってくれるパートナーを探している夢。長い廊下を歩いていて、順番に扉を開けてゆくの。中はパーティで、蠅(はえ)が止まりそうにのんびりしたワルツが流れていて、みんながそれぞれのパートナーと踊っている。だけど、私の相手は見つからない。そんな夢よ。

彼女はじっと宙(ちゅう)を見つめていた。

冬のカフェだった。なぜか彼女との記憶は冬ばかりだ。

そうしたら、夢の中で一度だけ、一緒に踊ってくれた女の子がいたの。黒い服を着て、壁のところに立っていたわ。ああ、あの子なら私と踊ってくれる。そう確信して、一緒に踊ったの。夢じゃなかったのね。